今日の特別伝道礼拝では、東鳴尾ルーテルの砂原律子牧師をお迎えしてメッセージを語っていただきました。砂原先生は、少女時代のつらい日々を経て神様の愛の深さに気づいたときの喜び、また死を覚悟した病の中でどう平安が与えられたかについても話してくださいました。
タイトルの「主の慈しみは絶えず」は、旧約聖書の哀歌の一節です。哀歌の背景には当時のエルサレムの荒廃と苦しみがあります。その中に、この「主の慈しみは絶えず」の言葉があるのです。どの人にも哀歌があると思います。人生には自分ではどうしようもない苦しみがあります。しかし神様の慈しみは「朝ごとに新たになる」と書かれています。私たちは絶望の底からも希望へと導かれていくのです。(T記)
哀歌3章22~24節 (新共同訳聖書より)
3:22 主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
3:23 それは朝ごとに新たになる。「あなたの真実はそれほど深い。
3:24 主こそわたしの受ける分」とわたしの魂は言い、わたしは主を待ち望む。