今日は特別伝道礼拝でした。メッセンジャーは小宮山愛爾(こみやまあいじ)牧師。小宮山師はアメリカインディアナ州のコンコーディア神学校の博士課程で勉強中です。このたび一時帰国の間に、さまざまな教会で奉仕をなさっておられます。

メッセージは新約聖書マルコによる福音書からでした。

「そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された」マルコによる福音書10:16

イエス・キリストの評判を聞きつけて、たくさんの人が集まってきた箇所です。「イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが弟子たちは彼らをしかった。イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。そしてイエスは子どもたちを抱き、彼らの上に手を置いて祝福された」(10章13~16)

小宮山牧師は、マルコによる福音書を連続ドラマにたとえて話されました。イエス・キリストの弟子たちは、イエスと生活を共にし、直接話を聞き、奇跡も目にしていました。それでも「自分たちの中で誰が一番上か」など、ときどきとんちんかんな発言や行動をしています。今日の聖書の箇所もそうです。マルコの福音書では最終回になっても弟子たちの「ダメっぷり」を示している、しかしイエス・キリストはそのような弟子たちに福音の宣べ伝えを託されたのです。

小宮山牧師は「神の国」の解釈についても、わかりやすく語ってくださいました。礼拝でメッセージを聞くと、聖書の奥深さにしばしば感嘆します。字面だけを追う読み方や自分の都合による曲解では、わからないことがたくさんあります。聖書に興味をもたれた方は、ぜひ教会でメッセージを聴いてみてください。

礼拝では男性コーラスが「善き力にわれ囲まれ」を歌いました。

~善き力にわれ囲まれ、新しいときを待とう、夜も朝もいつも神はわれらと共にいます~

神さまは教会だけにおられるのではありません。私たちがどこにいても、何をしていても共におられます。今日、教会に来ることができなかった皆さまの上にも神さまの豊かな祝福がありますように。 (T記)