「悪に負けてはいけません。かえって、善をもって悪に打ち勝ちなさい。」
新約聖書ローマ人への手紙12章21節
数年前、ある人気ドラマの影響で「倍返し」という言葉が流行りました。悪意をもって自分をひどく苦しめた相手を数倍にしてやり返す、という意味です。そして、このドラマのように復讐心に燃えて一生を送る方も少なくないでしょう。憎い相手をやっつけ、恨みを晴らす場面を頭の中で描きながら・・・。
けれども、皮肉なことに、見事復讐を果たしても、喜びよりもむしろ、なんとも言えない虚しさに支配される場合がほとんどです。また、そんな復讐心に支配されて一生を送ることは健康的でありませんし、第一、時間の無駄ではないでしょうか。神さまは、復讐させるために人間を創造されたのではありません。どこまでも幸せに生きるために造られたのです。
上のことばは、そのホンモノの幸せを掴むためには、どのように生きればよいかということを端的に教えていることばです。それは周りの人々の悪意ある言動に左右されない自分を作ることです。
悪をもって悪に報いるのは、相手と同じレベルに自分を貶めることです。それはすでに相手の悪に自分が支配されてしまっています。反対に、相手の悪に対し、善をもって応えていくところに本当の人間としての勝利の道があります。しかし、そのことはとても難しい道でもあります。倍返しするほうがよほど楽でしょう。
では、どうすれば、悪に対して勝利することができるでしょう。それはホンモノの真実の愛に出会い、それを自分のものとするしかありません。聖書は、神さまが醜い罪を持った私たち人間をさばかないで、ご自分のひとり子イエス・キリストに、その醜い罪をすべて負わせ、身代わりとして十字架に架けてくださった、と証言しています。
手前味噌でなんですが、私は聖書に出会ってから、神の前に本当に罪深い者だということがしみじみ分りました。しかし、それだけではありません。人をさばき、憎み、恨み、悪口や中傷を繰り返す私のような罪深い者を神さまはさばくことをせず、十字架によってイエスさまを身代わりにさばいてくださった・・・。
その真実の愛を知った時に、これまで私を傷つけ、苦しめてきた人に対する復讐心から解放されることができました。
弱い私ですが、イエスさまの愛と力を受けることによって、ついに打ち勝つことができたのです。今では、その人が幸せになることを心から願うことができます。神の愛に満たされてからは、人の言葉は私の心を支配できなくなったからです。(あお福音ルーテル教会牧師 植田哲昭)