「女が自分の乳飲み子を忘れようか。自分の胎の子をあわれまないだろうか。たとい、女たちが忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」
旧約聖書イザヤ書49:15
以前聞いた話ですが、数十年前、名優、森繁久彌さん(故人)が、知人の経営する会社の創立記念パーティーに出席したことがありました。パーティーもほぼ終わりに近づいたころ、出席者に赤飯が配られました。参加者がみな不思議に思っていると、その知人の方が赤飯について、次のようなお話をされたそうです。
「私は貧しい農家の後継ぎとして生まれ、中学卒業後、両親と共に農業をしていましたが、このままでは親を楽にさせることも、弟や妹を進学させることもできません。そこで少しでも収入を得るため、都会に出て就職することにしました。しかし、それは両親に大きな負担をかけることでもあります。ずいぶん悩みましたが、意を決して、両親が起きる前に内緒で家を出ることにしました。悲しむ親の顔を見るのが辛かったからです。
ところが決行日早朝、そっと起きてみると、いつもはまだ寝ているはずの母が台所に立っているではありませんか。
母が言いました。『きょうはおまえの門出だ。お祝いに赤飯を作ったから食べてからお行き。』
なんとは母は、内密にしていたはずの計画をとっくに察知し、許してくれていたのです。しかも、貧しい中をやり繰りして、きょうのために高価な小豆まで買っていたのです。私は母の大きな愛を知り、涙にむせび、せっかくの赤飯が喉を通りませんでした。
あれから30年、母はとっくの昔に亡くなりましたが、私が世間の厳しさに挫けることなく、きょうまでやって来れたのは赤飯のおかげです。どうぞ、皆さん、この赤飯を味わってください。」
私はテレビでこの話を聞いた時、改めて母の大きな愛を覚え、感動しました。おそらく彼女は無学な人だったでしょう。しかし、たとえ無学であっても、わが子が日頃何を考え、何に悩み苦しんでいるか、家出の日までも正確に予想するほど、深く分っていたのです。それはわが子が、自らの命よりも大切なかけがえのない宝だからです。
神さまは「たとい、女たちが(わが子を)忘れても、このわたしはあなたを忘れない。」とおっしゃり、母親がわが子を愛する以上の愛をもって、あなたを愛すると宣言なさるのです。その愛は、すべての人間の罪を赦し、永遠のいのちを与えるために、御自分のひとり子イエス・キリストを十字架に架けてくださったほどの大きな愛です。どうぞ、この大きな神の愛を受け取ってください。そこからほんとうに幸いな人生が始まります。(あお福音ルーテル教会牧師 植田哲昭)