「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」                                         新約聖書ヨハネ福音書8章12節

世の中にはさまざまな「光」があり、私たちを誘惑します。例えば出世や富という光があります。人々はそれを得るために、いわゆる一流大学、一流企業を目指して必死にがんばります。

しかし、そこにゴールできる人はわずかですし、めでたくゴールできたとしても、過労や人間関係に疲れ果て、リタイヤする人も多くおられます。また富を築いても、ネオンという快楽の光に誘われて、身を持ち崩す人も数え切れないほどです。

そのように、この世の光は私たちを本当の幸いに導くことのできない「偽りの光」です。それらを求めて何かを得たとしても、それは一時的な満足しかもたらさないものであり、結局のところ、虚しさと絶望の暗やみの中を迷い続けるしかありません。

しかし、イエス・キリストは、やみの中にいる私たちを招いて、こうおっしゃいます。

「わたしは、世の光である。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがない」

イエス・キリストは「まことの光」としてこの世に来られました。それは私たちが本当に目指すべき「永遠のいのち」の道を照らし、そこに導くためです。そのためにすべての人の罪を負い、十字架に架かり、三日目によみがえってくださいました。

このおかげで、イエスさまを信じるだけで、罪赦され、永遠のいのちが約束され、決して失うことのない希望と平安、尽きない喜びをいただけるのです。

私自身、若い頃は出世や富など虚しいものを追い求めたり、カルト宗教に入ったりと、ずいぶん暗闇の中をさまよっていたものでした。しかし、やがてイエスさまと出会い、罪の赦しと永遠のいのちをいただいてからは、希望と喜びと感謝の人生に変えられました。もしイエスさまに出会わなかったら、今も虚しいやみの人生を迷い、苦しみ続けていたはずであり、それを思うと本当にぞっとします。

そのように、イエスさまを信じる人は、たとえ目の前がやみに包まれ、どんなに暗くても、生きておられるイエス・キリストが光となって行く道を照らし、導き、助けてくださるので、安心して生きていけます。 (あお福音ルーテル教会牧師 植田哲昭)