「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」新約聖書マタイによる福音書11章28節
「人間、長生きだけはするものではない・・」これは、104歳まで生きた祖父が晩年いつも口にしていた言葉です。私はこの言葉の中に、祖父だけでなく、現在社会に生きる人々の「心の痛み」を感じます。
戦後の日本は、経済的に豊かな長寿社会になれば幸せになれると一生懸命頑張り、確かに世界有数の経済大国となり、世界トップクラスの長寿社会を実現しました。
しかし、現実はいかがでしょうか。それで幸せを実感しているでしょうか。「下流老人」というなんとも暗い言葉が社会を覆っているように、寿命が長くなった分、人々は心の中に多くの不安や怖れ、苦しみや絶望を抱えて生きているのではないでしょうか。
いや、高齢者だけではありません。「ブラック企業」、「過労死」という言葉に象徴されるように、20代、30代の若者も希望を失い、疲れ果てているのを見ます。
このような現実から、お金や長寿など、目に見えるものを求める生き方からは、むしろ反対に、怖れや不安、絶望などの重荷に支配される人生になることが理解されます。
イエス・キリストは、そのように重荷を負い、不安や恐れに疲れ果て、苦悩の中にある私たち一人ひとりに、「わたしがあなたがたを休ませてあげます」と、優しく招いてくださいます。
重荷というものは、ひとりで背負いこむ時、とても重く感じます。しかし、誰かがいっしょに背負ってくれると、本当に軽くなります。イエス・キリストは、「不安」「悩み」「苦しみ」というたましいの重荷を一人背負って疲れ果てているあなたを招き、あなたの重荷を負い、いっしょに歩こうとされるのです。イエス・キリストを心に迎えるとき、本当に心が軽くなり、生きる力が湧いてきます。このイエス・キリストのことばに出会い、絶望と闇の中から救われた人は数え切れません。
それは、イエス・キリストは今も生きておられる方だからです。イエス・キリストは2000年前に、私たちすべての人の罪を負い、十字架に架かり死なれましたが、三日目に死からよみがえり、今も生きておられます。生きておられるから、信じる者の重荷を背負い、疲れを癒し、大きな力を与えることができるのです。あなたもイエス・キリストを求めてください。まったく違った素晴らしい人生が開かれます。 (あお福音ルーテル教会牧師 植田哲昭)